非常に良かったのでとりあえず魚拓も取っておいた。
本人の努力と環境,そして運などが複雑に絡み合い,その人が成功するかしないかは決せられます。
単純な自己責任で人は計れないことの一例として貴重だと思いました。
敢えて今と比べて江戸末期の良かった点を探すとすれば、知識人が江戸ではなく地方に分散し、藩校や私塾の教育理念も千差万別であったから、幕府がどんなに腐って失策を打とうが地域の鬼才の芽を潰さなかったことが考えられる。やれ小学校から英語を教えろとか、携帯を取り上げろとか、英語だけで授業しろとか、実態を無視して画一的な号令を押し付けて教育現場を混乱させるよりも、地方分権で教育指針の策定を地域なり学校に委ね、教育指導要領や教科書検定による規制は緩和して、再び多様な価値観に基づいて教育の在り方を模索できる環境を整えてはどうか。子どものうちから相矛盾した多様な価値観に触れることは自分の頭で考える癖をつける上で極めて重要だし、周辺諸国との紛争事案も減って一石二鳥ではないか。論旨については概ね賛成です。ロスジェネ世代から見た学歴観とか,処方箋としての教育政策のあり方とか。画一化された教育が機能するとはとても思えないし,中教審その他の審議会で議論された内容が教育的意義を持つとはとても思えません。
ただし,何点か補足すると,
地方分権と教育方針の策定
これをする能力や意欲が各地方ごとにあるか非常に疑問です。場合によってはスタンドプレーに走り,変な教育指針の作成がなされたりしないでしょうか(スタンドプレーに走る首長の例は,タレントや他業種出身の何某氏等を見ると,実際にありそうです)。