080501興味深い議論

議論の発端はこちら。
Chikirinの日記:国に泣きつく若者たち
先日のエントリでもちょっと愚痴った朝生についてのエントリ。出演者・観客のうち,若い人にいわゆる貧困問題の当事者ないし支援団体が多く,年寄りが経済的強者になっていることに違和感を持つ筆者。筆者は,本来は若い人の方が強いはずだとしつつ,

本来的には圧倒的な強者である若者があきらめざるを得ないほどに、巧妙で、圧倒的に強固で、絶望的なほどに盤石な、「年配者が有利な仕組み」をこの国は作り上げてしまった。
と嘆く。国に泣きつく若者を批判しているようにも読めるが,むしろ,そうせざるを得ない状況を批判しているように読めます。ただし,いまいちニュアンスははっきりしません。

楠氏による批判

雑種路線でいこう:不甲斐ない同世代について
これを取り上げた楠正憲氏のエントリ。

たぶん「年配者に有利な仕組み」を誰かが意図的につくったのではなくて、これまでの惰性でやってきて、民主的な手続きを踏んでファインチューニングしてきたら、結果としてそうなっただけなのだろう。
として,年寄り世代に有利な状況は意図的に作られたものではなく,惰性の結果だとします。その上で,
たぶん理屈としては資源の再配分を主張するよりも、もうちょっと未来志向で多くの具体的困窮が救われる絵を描く必要があるんじゃないかな。なんだけどそれって「たまたま運の悪かった世代」的な自己規定ではブレイクスルーしなくて、今の景気動向をみると平成生まれくらいは就職活動で苦労しそうな気がするんだけど「日本はこのままじゃ駄目だし、昔の幻想にしがみついていたら駄目だ」くらい絶望した新世代が出てこないと、活路は見出せないかも知れない。たぶんロスジェネとして活路を見出すとしたら「他世代と比べて自分たちは運が悪かったのではなく、先のない夢から醒めなきゃならないんだ」というところまで自己規定し直す必要があるんじゃなかろうか。
として,同世代または新世代の自己規定のしなおしが必要だとします。要は,所得の再分配を国家に求めるのではなく,自分で目覚めてなんとかしようと,ということでしょう。無論,最低限のセーフティネットへの目配りにも多少言及しています。

楠氏に対する批判

Gavagai+:なんという、素晴らしい追い討ち
これに対しては,「追い討ち」という痛烈な批判がstream_hreat氏から加えられています。ほとんど悲鳴に近い,血涙を流さんばかりのエントリです。

"自分"をいじめても、何も世間は変わらないんだが。自己変革、とかは、正直、ある程度レールに乗っている人で初めて出来ること。余裕ねえよ、路上生活では。道は手を尽くせば開くなんて思っている人は、一億総中流時代の幻想から抜け切れていない。
よく、能力主義とか言っている人の話で感じるんだけど、給料差ほど「能力」に差ってあるもんかな?・・・(略)・・・大体のところ、給料ってのは「ポジション」に対応しているとしか思えない。
ロストジェネレーション世代が、同世代の人間を"搾取"していることに無感覚なのが心底気に食わない。・・・(略)・・・「救うな」って思っているなら、はっきりそう言え。踏みつけているのはオレの、そしてお前の足だ。

で,どう理解すればいいのだろう

Gavagai+:ロストジェネレーション問題が、人材開発投資ではどうにも解決しないことについて

そうやって、労働層に払う金額が減っているのに、何かしら一人一人がスキルアップしたとして何か払われる金額が変わりでもするかな?/どれだけスキルアップしようが、「自動車工に払われる金額は一緒」。/業務請負をやっている会社で「オタクは長いことやっていただいているので単金上げます」なんて話は聞いたことがない。大体は同じことをやっていれば単金を下げる。/一人一人の対策としては「他のやつの上を行く」でいいかもしれないど、みんながしてしまったら、「単に底辺のレベルが上がるだけだなあ」。/第一、食っていけない単金の仕事についている人が多すぎる、というのが問題なんだけどね。
衣食足りてでは不十分なのは私もそう思うが、今腹をすかせている人に魚の取り方を知ることが大事だというのは、間が抜けているというか腹をすかせている人を見ていない話。衣食足りてないし。
stream_hreat氏は,雇用が非正規雇用に転換し賃金が下がったこと,余裕がなく人材開発投資ではどうにもならないところにきていることを理由として,楠氏を批判します。僕の感じたことも,すべてほぼこのエントリに網羅されています。そういえば,NHKワーキングプア特集でも,似たような問題を扱っていたような。がんばって資格を得ても,ほとんど昇給しない,みたいな。

その上で,ちょっと感想を補足します。

楠氏の議論は,やはり「溜め」のある人の議論ですね。湯浅誠氏が,貧困を「溜めのない状態」と説明している*1のを,これらのエントリを読んで思い出しました。溜めのある人間なら,一時的な失業でも,貧困でも,なんとかなるものなのです。1〜2年くらい状況を見て,自己規定しなおして,ある程度期間を持ってプランニングすることもできます。でも,貧困には「溜め」がないのです。「溜め」がない状態の人間に,楠氏みたいな言い方は,たとえ正しくても,それは猛毒になるでしょう。その毒を受けると,

「救うな」って思っているなら、はっきりそう言え。踏みつけているのはオレの、そしてお前の足だ。
という事になります。

溜めがあり,がんばることができる意欲と能力がある人間には,楠氏の言い方は有効でしょう。しかし,今,社会問題となっているのは,まさに朝生で取り上げられたような,溜めのない貧困なのです。最低限の生活の維持,再出発ができる状態を確保するための,国家による救済が求められているのです。そういう意味では,当初にあげたChikirin氏のエントリも,なんとなく的をはずしているなあ,という感触を持ちます。

*1:リンク先から該当部分を引用する。「ほぼ例外なく家族と断絶しています。どういう原因がなのか聞くのはあまりにデリケートなので、信頼関係上、最初はあまり聞かないようにしています。ただ、ぼつぼつ関係ができてきてから聞いてみると、ほぼ例外なく家族との関係が切れている。若い人の場合、もともと養護施設出身の人、ご両親が離婚している人、 DV(家庭内暴力)の被害に遭った人、いろんな人がいます。何らかの形で家族に頼れない事情があると例がほとんどですね。親と同居しているフリーターは、仕事は不安定だけど、家族の支えがあれば、そのまま生活の不安定さには直結しないわけです。でも、そこでサポートしてくれる家族の関係がないと、仕事の不安定さがそのまま生活の不安定さに直結してしまう。それを私は「溜め」がないといってますけど、そういった「溜め」が失われてしまっている人が多いです。」「『溜め』を増やしていくしかないですよね。貯金といった金銭関係、家族・友人、精神的には「自信」とかですよね。」