090812 薬物犯罪に対する国家による介入と個人の自由について

先日のエントリにはたくさんのブックマークをつけていただいてありがとうございました。

完全に勢いと感覚だけで書いたエントリにも関わらず,多くの意見をいただきました。非常に嬉しかったです。特に,良記事等のタグをつけてくださった方,本当にありがとうございます。

さらに,批判的なブコメをつけてくださった方,おかげで僕も改めて自分の薬物犯罪に対する立ち位置をみつめ直すことが出来ました。

国家による過度な介入は避けるべきか〜パターナリズムの適否

パターナリズムではないかという批判

id:welldefined パターナリズム, 奴隷, 感覚の正義 「覚醒剤は恐ろしい。なぜなら多くの犯人は一度ブチこまれても懲りずにまた使用するからだ。」という奴隷道徳。ルールを破るような悪い奴だから悪いというトートロジー。脳細胞に損傷を与えるシンナーとくくる詭弁。
 まず,パターナリズムという批判について。これは正当な批判だと思います。代表的であろうブコメとして,id:welldefined氏のブコメを引用しました。「感覚の正義」という批判も含めて,僕がエントリを書きながら,もっとも気にしていたところです。業務で覚せい剤濫用者に触れる機会がなければ,僕は,自分のエントリに同じような批判を加えていたでしょう。

やはり国家や他者の積極的な介入を認めざるを得ないのではないか

 とはいえ,僕の経験を前提とすると,強度の依存性がある薬物に関しては,権力による相当程度の介入を認めざるを得ないと思います。僕自身はリベラリストのつもり*1でしたが,一定の領域に関しては,国家によるパターナリスティックな介入を認めざるを得ない領域が存在するのではないか,と,今は考えています*2

 なぜ国家による介入が必要なのでしょうか。

 薬物の濫用により,薬物をコントロールすることが困難になった人が,自ら受診したり,薬物の問題に立ち向かうのは不可能だからです。家族による対処が期待できない場合*3,残されるのは国家を含む権力による対応でしょう。その場合,本人の意向に反してでも実施される,強制的な処遇が必要になるのではないでしょうか。

 以上のとおり,濫用者の治療のために必要という理由以外に,根源的な理由が僕にはあります。少なくない濫用者を見てきて思ったのですが,彼らはなりたくて濫用者になったわけではない,と感じざるを得ないのです。また,彼らの多くは,生育歴や環境,もともとの素質などに困難を抱えている例が多く,単に薬物教育を施せば濫用者が減る・なくなるという単純な構造ではないと感じられます。

 以上の理由で,単純な自由主義に基づいた,依存性薬物への強い規制をパターナリズムとして批判する立場を取り得ない。これが今の段階の僕の結論です。

ハームリダクションってどうよ

 おまけです。今回のエントリ・ブクマの結果,はじめてハームリダクションという単語を知りました。勉強になるなあ,はてなは。

 で,ハームリダクションについてのオランダ政府の宣言についてです。

オランダの薬物政策を語るに,薬物事件の刑事弁護の第一人者の小森弁護士の私訳があります。小森弁護士の私訳には,「ハームリダクションは無策に勝る」とされ,「予防>治療>ハームリダクション>無策」という関係を宣言しています。今の日本は,予防や治療よりも先にハームリダクションを優先するような状態とは思えません。

パターナリズムが認められるとしても,犯罪化をすべきかどうか

まずは,id:RRD氏のこちらの素晴らしいエントリをご覧ください。
覚醒剤の自己使用を処罰するな:NOW HERE

やっぱりさー、日本の刑事政策には不十分なところが多いな。
つまり悪は悪だから罰せられる、という前提がまずあるために、その罰が必ずしも被告人やその周囲の助けにはつながってないんだよ。

その典型が覚醒剤などの依存症患者による事案だ。依存症患者に対する更生プログラムがまったくないまま放り出されてしまうんだ。刑務所での指導もあるんだけど、再犯率の高さから見てもまるっきり効果がなく、しかもそのことに対するフィードバックがまったくされていない。
先の内縁の夫のお父さんは盛んにこう言ってた。覚醒剤常習者の異変に気がついて通報しても、確たる証拠がないと検察も警察も動いてくれない、ただ、連れて来てくれ、というだけだが、いい年になった大人を本人が行く気がないのに無理に連れて行くことなんか出来ない、と。
出所したらすぐに暴力団から連絡があるみたいだって。どこでその情報を得てるんだろう?って。すぐ接触があって、売人の連絡先入りの、被告人名義の携帯電話を渡されるんだってさ。ひでー話だ。
詳しくは全文を読んで欲しいと思います。覚せい剤の事件を通じては,僕も同様の憤りを感じます。

若干補足すると,一応刑務所内では分類処遇をすることになっていますし,薬物教育をすることになっています。ただし,「懲役刑」を科す以上,全面的に教育を展開するわけにいかないという点で,限界があります。NOW HEREの筆者氏が言われる,相対的応報刑の限界でしょう。

立法論としては,次のような提案が考えられると思います。

(1)依存性薬物の単純所持・使用の非犯罪化(ただし,違法であることはいずれも法律上宣言しておく)

(2)濫用者のための強制的治療処分の設置(精神保健福祉法に,措置入院医療保護入院があるので,別に特別な仕組みではありません。薬物の利用者または濫用者のみを対象とするので,一般的な保安処分とは性質が異なります)

(3)営利目的所持・販売・密輸は引き続き厳罰をもって対処

当然,予防のために十分に過剰摂取や依存性を含む,薬物の危険性の教育をする必要があります。

単純所持や使用を処罰の対象とするいまの制度について

現行法制について若干触れると,僕はあまり否定的ではありません。初犯の単純所持・使用はほぼ執行猶予がつきます。しかも,警察に身柄拘束をされることが,本人にとって薬物を止める強いきっかけになりますし,また,身柄拘束をされることで,物理的に薬物から離れることができるからです。理想的な制度と言うつもりはありませんが,強く批判するつもりもあまりありません。もっといい枠組みを作ることは可能ではないか,と思いますが。

薬物の危険性を前提

したがって,「マウスパッドの上の戦争」の前記エントリの評価は変わりません。あまりに危険性を無視しすぎているからです。依存性のある薬物の危険性を前提とすれば,国家による相当程度の介入はやむを得ないのではないでしょうか。また,危険性を強調し,予防に力点を置く政策を,あまり間違いとも言えません。予防>治療です。

一部の,危険性を過度に軽視するウェブサイトは論外です。

この間,幻覚,妄想は寝ていれば治る的なウェブサイトがありました。閲覧できなかったので,ブクマすらしていません。googleのキャッシュのみで確認しましたが,正直首を傾げます。

どうもいろんな文献の引用や孫引きから作られていますが,僕の経験からは論外と言わざるを得ません。

また,臨床例を紹介している「薬物依存の理解と援助」(金剛出版)では,斷薬から三ヶ月の間,被害念慮や幻視が遷延した例が紹介されています(同書P36)。欧米では,覚せい剤の危険性を軽度に評価する文献も過去に存在したようですが,欧米で専ら流通しているのはアンフェタミンであり,日本で流通しているメタンフェタミンとは違います。実際に,前掲の書物の筆者は,「日本の平均的な精神科医の臨床実感と(欧米の診断基準は)大きく異なる」(同書P36ー37)としています。あまり欧米の文献をもとに,安易に評価・判断をするのはよくないのではないでしょうか。ちなみに,同書で紹介されている重症・困難事例は,僕の経験と非常に合致します。

さいごに

 依存性の強い薬物の恐ろしさについて,多少の方の理解が得られたのなら,先日のエントリを書いた甲斐があったというものです。最後に,薬物事件を起こす方は,必ずしも倫理的に非難される人達ばかりではありません。むしろ,繊細だったりして,実社会では生きづらいが,個人的にはいい人,という人も少なくありません。彼らに対する偏見が少しでも減り,違法薬物への理解が少しでも進むことを祈って止みません。そして,今回,一連の話題のもとになった,二人の芸能人と一人の自称サーファーがきちんと更生することを祈っています。

薬物依存の理解と援助―「故意に自分の健康を害する」症候群

薬物依存の理解と援助―「故意に自分の健康を害する」症候群

*1:自分で書きながら,笑えるなあと思います。バカにしてくれて結構です

*2:どのような介入があるか,刑罰による対処が適当かどうかは別問題として,とりあえず置いておきます。

*3:家族が対応できるなら,ズブズブのジャンキーになる前に,なんとかなるはずです。